top of page
執筆者の写真中島 祐哉

グラス越しに見つめたのは/Bar Tarrow’s【神楽坂】


「今日は1軒目ですか」

飯田橋駅西口から早稲田通りを上り、息が切れてくる頃に見番横丁の路地に入る。仕上げにビルの外階段を3階まで、真夏の暑さには少々ハードな道のりだ。

おしぼりを受け取りながら、1軒目だと答えた。たしかに食事前の利用としては少々遅い時間帯かもしれない。バーに通うようになって、純粋にお酒を楽しみたいときは食前に行くことが増えた。空腹感は味覚を際立たせ、また貪欲に酒1杯1杯と向き合う気分にさせられる。これが身体にいいかは別として。



Bar Tarrow’sはオーセンティックバーとして紛れもない一流店であるが、同時に街酒場としての空気感をもつこのギャップがたまらなく良い。深いブラウンのローカウンターに数百本のハードリカーを携えた一面のバックバー、そしてそれらを最も際立たせる絶妙な照度は、本来的にはもっと緊張感を漂わせそうなものであるが、この店はそれをしない。言葉を選ばず表現すれば「隙」と言えるのかもしれない。若輩の僕が気兼ねなく通えるのはその隙のおかげだ。


ブランデーのソーダ割をオーダーすると、ブランデーの種類を尋ねられた。柔らかな味わいのコニャック、パンチを求めるならアルマニャック、香りをしっかり楽しむならカルヴァドス、とわかりやすい説明だった。少し迷いながらカルヴァドスをお願いした。



Vosges(ヴォージュ)・カルヴァドス。説明があった通り、香りの芯が強くソーダで割ってもリンゴの芳醇さがありありと感じ取れる。熟成年度自体はそれほど長くないらしいが、それ故の硬さのようなものがこの飲み方と合うのかもしれない。

「先日のメロンがとても美味しそうでした」とバカラのタンブラーをコースターに戻しながら僕は言った。この店では少し前に葡萄のお酒(主にコニャックのことだ)とメロンを心ゆくまで楽しむという贅沢な企画を開催していた。マスターのフルーツへの造詣の深さは常連なら誰もが知っているし、企画は早晩満員となったようだった。

「同じものが今日ありますから、よろしければチャームにそれをお出ししましょう」


カウンターの下で手際よくフルーツをカットし、程なくしてプラムと共に美しい皿に盛り付けられたメロンが出された。

メロンを食べると、子供の頃に母親が連れて行ってくれた百貨店のフルーツパーラーを思い出す。メニューを見て子供ながらにその高級さに尻込みしながら、たまには遠慮しなくていいとメロンがたくさん乗ったパフェを頼んでくれた。あれは誕生日だったのか、なんでもない休日だったのか、パフェを美味そうに食べる僕を見ながら母親は何を頼んでいたんだっけと、大切な記憶であるのに思い出せない部分がたくさんある。あの店は今も変わらずにあるのだろうか。


「タカミメロン」とバーのマスターは言った。今僕が食べているメロンの名前だ。

「貴族の貴に味と書くんですが、大体は片仮名でタカミメロンと書いてあります。貴族の味と言っても別に、高いメロンじゃない」

そうおどけながら、日本はピークの時期に出てくるメロンは須く美味しいのだと添えた。タカミは実が少し硬めだが、甘みが強い。僕らが想像する高級なマスクメロンなどは、果肉が常に柔らかい品種で、それがやはりブランドであったりするわけだ。


コニャックとメロンを楽しんでいる人々を想像すると、僕も甘いお酒を飲みたくなった。ゴッドファーザーまで行かないくらいの、でも甘ったるい感じが良い、素材は気にしない、と口が欲しているイメージを遠慮なくそのまま伝え、あとはプロフェッショナルの引き出しに委ねてしまった。

「甘くてゆっくりと飲める感じであれば、割と僕が好きなやつがあるので。ロングですが」

ロングカクテルで構わないと伝えると、普段あまり見かけないリキュールを使いビルドで葡萄茶色のカクテルを作ってくれた。氷上には僕の大好きなチェリーが添えられている。



「テネシーワルツです。ベリーチョコレート・ソーダみたいなイメージ。甘くて、軽くて、のんびり飲める良いカクテルです」


カクテルの説明をするとき、ああこの人は本当にバーテンダーという仕事が好きなんだなと思った。自分が気に入るカクテルを、思い通りに美味しく作ることができて、さらに美味しく感じるような解説までしてくれる。こんなに素敵な仕事があるだろうか。

カカオリキュールとグレナデンシロップを1:1に、それをソーダで割ったカクテル。組み合わせから想像するほどには甘すぎず、カカオの香りを追いかけるようにザクロの酸味が柔らかく広がる、確かに良いカクテルだ。

「なんだか、昔食べたポッキンアイスを思い出しました」

「ノスタルジックな味ですよね」


なぜかはわからないが、今日は子どもの頃の記憶を呼び起こすべき日なのだろう。冷房の効き過ぎる百貨店を、母親に手を引かれ歩いていた僕が、気付けば一人で真夏の神楽坂に通う大人になった。そして生意気にも美味い酒と共にメロンを食べている。それでもなお、あの日々を思い返すと胸がギュッと締め付けられるのは、もう取り戻せない時間であることを理解しているからだろう。

そういえば一度くらい僕が通うような店に行ってみたいと話していたっけ。総武線に揺られて一緒に飲みに行こう。その頃には神楽坂の風はもう少し涼しく、色とりどりのフルーツが並べられているかもしれない。




 

Bar Tarrow's(バータロウズ)/神楽坂


東京都新宿区神楽坂3-6-29MIビル3F

  • 飯田橋駅西口 徒歩4分

  • 神楽坂駅 徒歩8分

TEL:03-6457-5565

営業時間:18:00〜26:00(日曜定休)





Коментарі


bottom of page